ラテンアメリカ通信
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Hola! Amigos 依然暑い日が続きますが、皆さんお元気ですか? Cerveza com Bossa Nova なんていうのも最高ですね。 さて春から夏にかけて中南米旅行に出かけた方或いはこれから出かけられる方も多いのではないでしょうか。 そこで今回のオープニングは、Srta.Shibasakiのメキシコ旅行についての報告から始めましょう。
Srta.Shibasakiの Mexico旅行記からスタートです。
MI VIAJE A MEXICO (1) Yukiko Shibasaki
みなさん、こんにちは! 8日間の Goldenweek の休み中に行った、私の最初の Mexico 旅行についてお話ししましょう。
私は、まず最初に、Maya 文明と Azteca 文明の遺跡を見に行きました。メキシコの首都やその郊外には、沢山の廃墟や 古代文明の博物館があります。
主な博物館は、人類学博物館と国立歴史博物館で、これらは、街の中心の "Bosque de Chapultepec"という広大な森の中にあります。国立歴史博物館は、その森と同名の古城の中にあって、そのお城は高台に建てられているので、街全体が見渡せます。この森の近くには、日本大使館があり、そばには”メキシコ観光”という旅行社があって、日本語を話す人達が働いてしました。この旅行社を通じて、私はアステカ文明の一つの遺跡である Tula に行きました。
Tula は、メキシコシティから約2時間のところにあります。この遺跡には、小さなピラミッドが幾つかあり、その周りには3-4mの石碑が立っています。それらの石碑は、アステカの英雄が彫刻され、あるものは人間の頭が、また別のものは、アステカの象徴の鳥である鷲の頭が彫刻されています。有名な
"Teotihuacan"のピラミッドにも行きました。ここには、3つの大きなピラミッドと、沢山の小さなピラミッドがあります。最大のものは、太陽のピラミッドで、太陽の色である赤色で、全て絵が描かれていました。この赤色は、"Nopal"
や "Maguey"の様なサボテンに住む、ある小さな昆虫達から採られていたそうです。”ノパール”は、食べられるサボテン、”マゲイ”は、繊維の多いサボテンの一種で、古代には紙として利用されたり、また衣服を織るための繊維として使われていました。私が登った別のピラミッドは、女性を示す白色で絵が描かれた、月のピラミッドです。この文明は、大変女性を尊重していました。このピラミッドの近くには、特別な場所がありました。というのも、出産後40日間、女性達がここでハーブ浴をし、リラックスし休養していたのでした。
”ティオティワカン”に行きたい人への一つのアドバイス:
ティオティワカンには、英語を話す沢山のガイドがいます。彼らは、日本人にとっては安い料金で、ピラミッドの全ての歴史を説明してくれます。見ているだけでも、本当にスゴクきれいですが、歴史もわかったらいいですね。そう思いませんか?
・Atlanta五輪を振り返る Hiroyuki Aizawa
世界を睡眠不足に陥れたOlympicが終わって1月弱。振り返るに、本五輪は、「番狂わせ」が多い大会だったと思いませんか。
興味深かった種目の筆頭は、なんと言っても、やぱりFutebol(サッカー)でしょうか。日本人としては、VS Brasil戦やVS Nigeria戦は、本当にEXCITEしましたよね。ラッキーとはいえ、ブラジルチームを破った日本チームの活躍は素晴らしかったと思います。今後が期待できそうですね。Nigeriaが初優勝、Argentine、Brasilが続く結果となりました。ナイジェリアの選手達の身体能力の高さは、さすがAFRICA!
さて、ブラジルはアフリカの影響(Influencia)を強く受けた国のひとつですが、その北東部地方(Nordeste)は、今でもアフリカ起源の文化が色濃く残る地方です。ブラジルがPortugalの植民地だった頃、この地方には、アフリカの大西洋沿岸や南部から、多くの奴隷(Escravos)が連れてこられました。同時に彼らは、自分達の文化をそこに持ち込んだのです。そこには、人種混交による混血児(Mestizo)だけでなく、アフリカ文化とキリスト教文化とが融合習合した、新たなブラジル独自の文化(Cultura Afro-Brasileira)が生まれました。日本でも有名になったSambaもそのひとつですが、例えば、Candombleと呼ばれる宗教とその周辺文化は、そのひとつの典型といわれています。後者の起源(Origem)は、現在のナイジェリアにあると言われています。カンドンブレにはいくつかのOrixa(精霊)が登場します。例えば、戦争の精霊Ogun、雷の精霊Xango、滝と川の精霊Iemanjaなど。ナイジェリアの部族で広く話されているYorba語(Nago)には、ほぼ同様の精霊達が生きているのです。ブラジル文化の中に、この様な例は他にも沢山あります。
さて話は戻りますが、ナイジェリア人を含むアフリカ人達は、この試合の勝利をさぞ誇りに思ったことでしょう。
一方、混血が進んで、今やブラジルは、人種差別のない寛容な社会となりました。でも反面、逆に自ら及びその文化のオリジンを考える機会も急速に失われてきているのではないでしょうか。ブラジルのある歌手は、次の様に歌っています。
"Brasil nao conhece a Africa, mas a Africa sabe bem do Brasil"(「ブラジルはアフリカを知らない。でもアフリカはブラジルのことをよく知っている。」)
ブラジル贔屓の私としてその勝敗は残念でしたが、Mae Africa(母なる地アフリカ)という、言葉の重みを強く感じた一戦でありました。このことが「北東部地方の人々を中心としたブラジル人達が、自分たちのオリジンを再認識する」一つのきっかけになって、ブラジルとアフリカとの間の交流が活発になったら素晴らしいなあ、と日本人として他人事ながら考えた私でありました。(連載第1回)
Churrasquinho Japones no parque de Komabano De novo!
第2回バーベキュー大会を、10/19(土)[Sab, Dia 19 de Outubro]に開催します。皆さん御参加下さい。詳しくは別紙にて。
次号予告